昨年(2020年)は10万分の1というありがたくないクジを引き当て、CIDP(慢性炎症性脱髄性多発根神経炎)患者となってしまったわたしですが。2021年6月で「指定難病」と認定されて丸1年になります。
そういうわけで、今回はこの1年と少しの経過と、今と今後について、自分の記録もかねてまとめていきます。
記録の内容は私の主観を含むものです。
医療的な内容も先生からの説明を私なりに解釈した内容で書いてあります。医学的には間違った表現があるかもしれません。
「こんな人もいるんだな」という参考程度に読んでいただければと思います。
まずはCIDP診断後1年2ヶ月の今の現状
2021年8月上旬現在の状況です。
昨年の11月末に丸2ヶ月の入院から退院し、自宅での生活が8ヶ月できています。昨年の入退院をくりかえす生活を思い出すと、少々体調悪かろうが家の生活は快適です。
服薬

もろもろステロイドの副作用をコントロールする薬を合わせて飲んでいますが、CIDPそのものをコントロールする目的で飲んでいる薬は「プレドニン」です。
プレドニンは現在9mg/day の量で服用しています。
昨年の入院時60mg/dayからスタートしてジリジリ減らしています。
今現在の体調
日によって、背中の痛みや倦怠感、疼痛があります。
症状が一番ひどい時に出ていた、各所の「感覚鈍麻」は無くなり、今のところありません。
手の痺れ・筋力低下は、ほぼい回復、ペン習字やカリンバなと趣味を楽しむ程度には普通に使えます。日常生活でも握力低下時に多かった「物を取り損ねて落とす」ということはかなり減りました。
足に関しては、一時期は「立ち上がって歩く」ということができなかったのが、今は杖なしでスーパーで買い物をするくらいは可能です。(長時間の外出では杖があった方が安心。)走る、ジャンプする、といったことはできません。
2021年7月からプレドニンは10mgから9mg/dayに減ったのですが。徐々に足の痺れの範囲の拡大と痺れの度合いが上がっている気がします・・・。
腕の付け根、足の付け根の筋力が落ちて戻っていないようで、腕上げ・腿上げのような動きをすると筋肉痛のような痛みが走ります。

ちなみに発症後から足先の痺れはずっと続いているので、車の運転はしていません。(昨年免許の更新だけはしました。)
CIDPここまでの経過振り返り
上記のような現状ですが、この現状に至るまでのこの1年半ほどの流れをまとめておきます。
このブログにも何記事か経過報告の記事をあげていますが、調子に波があって定期的にかけていないので、抜けている箇所もあるので、できるだけ簡単にこれまでの経過をご紹介します。
2020年3月上旬
手足の指先に痺れを感じ始め、仰向けから起き上がりにくいという異変がで始める。2〜3日で痺れ増悪、全身に疼痛が出る。
2020年3月中旬〜下旬 初診→紹介で現在の担当医がいる病院へ

週末耐え難い疼痛に襲われ、偶然土曜日の夕方に近所の内科に大学病院から来る神経内科医の診察枠があるのを見つけて、速攻で受診。腱反射など簡易な検査で「神経的に異常がでてる可能性あり」とのこと。
ただ、その病院では筋電図検査ができないので、別の大きな病院へ行くよう指示。
週明け、大きな私立病院へ。
神経電導検査を受けこの時は「ギランバレー症候群」という診断。入院で治療したほうがいいという話だが、その私立病院には神経内科に空きベッドがないということで、国立医療センターへの紹介状を出してもらい、翌日から入院治療開始。
1回目の入院:3月下旬〜4月上旬
<主な治療>
○免疫グロブリン点滴5日間
○ステロイドパルス2クール
他、髄液検査、神経電導検査なども。
この時は全身がだるく、痛い。手先足先の痺れの入院中にピーク。顔面麻痺も出ました。
一通りのギランバレーの標準的な治療をして2週間ほどで退院。

ギランバレーは一過性のものだし、ピークアウトしているので、リハビリしながら気長に神経の修復、筋力の回復を待ちましょう。
ということでした。
自宅に戻ってからも体のだるさや頭痛、疼痛などは続いており、寝て過ごす日が多かったです。
2回目の入院:6月中旬〜7月上旬
気長に回復を待つ生活をしていましたが、6月に入るころから筋力低下や疼痛が悪化しているように自覚。その決定打は家で一人でいるときに膝折れをおこし派手に転倒。
転倒した2日後に外来受診からそのまま再入院。
<主な治療>
○ステロイドパルス2クール
○免疫グロブリン点滴5日間
筋電図検査、髄液検査もあり。症状は前回と変わらず、筋力低下から来る歩行困難、手先、足先の痺れ、背中〜肩の痛み、感覚鈍麻。
この入院で、症状の再発の状況や、もろもろの検査結果を踏まえ「CIDP」の診断。
寛解と再発を繰り返すなどの病気の説明を受けた上で、「指定難病」の医療費受給手続きをとってください、と言われ「えー難病?!」とは思うが、なんとなくスムーズに現実を受けいれていました。
と、当時にこの痺れや痛さとずっとお付き合いかーと軽い諦め感・・・。
指定難病の医療費受給の申請は、入院中に夫が済ませてくれて入院中から受給開始。(申請した日から受給対象期間)
徐々に足の筋力おちて歩行の若干の不安を抱え退院。入院中のリハビリで念の為に杖の使い方を教えてもらっておいたので、退院時に家に届くようにアマゾンで杖を購入。
退院後も、あちこち不調を感じながらの家の生活。

まぁ、家で過ごせるだけマシ。
3回目の入院:9月初旬〜中旬
前回の入院からは、不調で不安を抱えながらもなんとか家で生活できる状態だったが、そろそろ感覚鈍麻の症状が腰から臀部、下肢に拡大。
そろそろ免疫グロブロンを追加で点滴しましょうということで、今回は大きく体調が落ち込む前に入院治療。
<主な治療>
○ステロイドパルス1クール
○免疫グロブリン点滴5日間
痺れ、疼痛はあるものの、前2回の入院よりも症状が軽いうちに入院したので期間も短め。
退院する前日、手の痺れが増悪した気が・・・。しかし、グロブリンの効果は時間差があるので、家に戻って生活するうちにまた治っておくだろうと自分に言い聞かせ退院。
4回目の入院:9月半ば〜11月末
前回の入院から1週間ちょっとで再入院。
<この入院でしたこと>
- トイレ以外のベッド上安静2日半
- 肝生検
- ステロイドパルス3クール
- プレドニン服用スタート(60mgから6週かけて30mgま減薬)
この内容の詳細は以下で書きます。
退院して、自宅に戻って2日ほどは変わりなかったけど、その後数日で痺れの増悪筋力低下などが一気に増悪。
座っているのもギリギリ(姿勢が保持できない)の状態に。
予定を大幅に早めて、外来へ。(もう入院するつもりで入院セット持参で行った、)外来で待ってる間も、車椅子に座ってるけどずっと上半身も傾いたまま、みたいな状態でした。
外来の診察前に血液検査を受けると、肝臓の数値(γ-GTP)が爆増。(悪い方に)先生に

なんかしました?
と聞かれたけど、何も・・・(笑)
そのまま肝臓内科の外来へも回され、肝臓への負担を減らすためベッド上安静の指示の上、即入院になりました。
初めての肝生検

そこからトイレ以外はベッド上安静。その間、CIDPの治療はこの間何もできず。ただただ病室のベッドで安静にすること丸2日。
肝臓を休めたのち、初めての肝生検。肝臓の組織を一部取るために局所麻酔をして処置室へストレッチャーで移動。
なんなんとなくぼんやりする程度で、肝臓内科の先生や看護師さんの声はよく聞こえ、先生から「大きな音がするけど、びっくりして動かないようにね」と言われて若干ビビる・・・。(笑)
その後は先生や看護師さん、研修医のみなさんがなんか和やかに談笑しながら準備をして「じゃぁ、いきますねー」と言われて、先生の指示に合わせて息を吐いたり、吸ったりして、止めたタイミングで
ばちん!!!
と大きな音がして、お腹のおくがなんとなくズーン、じわじわ〜っと痛みは広がって、組織採取は終了。大きな音にはびっくりしたけど、看護師さんのがっちりホールドのおかげで動かなかかったので、組織も問題なく採取できたそうで、1回の「ばちん!」と済みました。
お腹に太めの針穴が開きましたが、数日ガーゼでカバーして、化膿せず、傷が塞がったのを確認して、終わりでした。
肝臓の異常はステロイドパルスが原因(あくまで私の場合)
肝生検の日、CIDPでじわじわ落ちていた筋力低下のピークはきて、自力で起き上がれなくなりました。
かけられた布団を自分で外せず、食事も自力で食べられず、お手洗いにに自力で行くこともできず車椅子で連れて行かれズボンも落ろしてもらうような状態。顔の麻痺も少し出ていました。

その夜は不安やら情けないやらで泣きました。
結局数日経過して出た、生検の結果組織の異常はなし。肝臓に関してすぐに治療を始める所見はありませんでした。
じゃぁ、あの肝臓の数値の悪さはなんだったのか・・・と思うわけですが、先生曰く考えられる原因は「ステロイドパルスの影響ではないか」ということでした。
体質によって高容量のステロイドを摂取(ステロイドパルス)して、ピタっと止める(0にする)になると肝臓が悪い方に反応することがあるそうです。
これまで3回の入院ともステロイドパルスはしていても、最初の2回は肝臓に異変はなかったのに何故3回目の今回は・・・とも思いましたが、ここまで来ると正直なとこと「もうなにが起きてもそうびっくりしない」という境地に来てました。
先生の説明を受けて分からないことは質問しつつも「はぁ。そうですか。」という感じ。
ステロイドは効くがそのおかげで入院期間が伸びることに

というわけで、短期間にステロイドを大量に摂取する点滴「ステロイドパルス」を受けると、私は肝臓にダメージをうけることがわかったわけですが。
それに加えて、前回の入院で免疫グロブリンの点滴を受けたのに、それが全く効いていないという状況。(これに関しては、肝臓の悪化と何か関係があるのかは、私の治療の中で今のところ検証していません。)
ひとまず、急激に悪化したCIDPの症状を抑えるために、ステロイドパルスを1クールすることに。(ステロイドを摂取するのはむしろCIDPの症状を抑えるのにも、肝臓の数値を抑えるのにも有効だろうという先生方の考えもあり。)
1クール(3日間)のステロイドパルスを終えると、ベッドから自力を起き上がったり、座った姿勢を保持することは楽にできるようになりました。体の重だるい感じも徐々に抜けていきました。先生曰く

ステロイドがよく効くタイプですね
とのこと。
・・・で、CIDPの症状が改善してここでステロイドをやめると、また肝臓が悪化するだろうし、CIDPの炎症をしっかり抑えるためにも、追加でもう2クールステロイドパルスを追加し、その後ステロイド服用を続けていくことになりました。
服用するステロイド(プレドニン)を高容量から始めて、徐々に減らして「軟着陸」を目指す訳ですね。
そいうことで、服用が始まったステロイドの当初の量は60mg/day。
これを徐々に減らしてくわけですが、30mgを切るまでは「要入院管理」です。(ステロイドは免疫力を下げるため、感染症などの懸念があるため)通常は2週間ごとに5mg減らすのが一般的なペースだそうで。
そのペースでいくと・・・
60mg→30mgで30mg減らすためには・・・10mg減らすのに1ヶ月、30mg減らすのに3ヶ月かかるわけです。

この説明を受けたのが10月半ば・・・。入院で年越しのフラグが立ちました。
・・・が、先生もさすがにそれは精神的にきついと思うので、1週間5mgペースで減らしてみましょうということに。それでも1ヶ月半程度。
退院は早くても11月の末頃、ということが判明。まるまる2ヶ月も入院することになりました。
入院中の体調

そんなわけで、点滴をするでもなく治療としては「3食後薬をのむ」だけの入院生活が始まりました。(平日に45分程度のリハビリはありましたが)
肝臓の数値は入院中に追跡で検査しましたが、徐々に改善していっていました。肝臓にもCIDPにもステロイドを摂取しながら徐々に減らしていくことが、私には合っていたということのようです。
ステロイドのおかげで、倦怠感などはかなり楽になりましたが、握力低下、手先・足先の痺れ、感覚鈍麻、歩行困難は継続。
トイレに行くのもしばらくは看護師さんの見守りは必要・リハビリ室に行くのも車椅子で送迎されていました。
10日ほどでクラッチ杖(アームホルダー付きの杖)をつけばギリギリ自力で歩けるようになり理学療法士さんには心配されながらも、リハ室にも杖をついていけるようになりました。
が、時折足の内側から湧き出るようなじわじわ感が起きて、膝折れしそうになることが度々あり。これは、このあと4ヶ月間くらい続きました。
一方、手のほうが、握力落ちて痺れが強く、ペットボトルを開栓する・筆記をするといったことは全くできてませんでした。
ちなみにその頃ノートに書いてた字がこちら。2021年10月半ば頃に
ちなみに痺れマックスの1ヶ月前の字はこちら。自分でも読めないところが結構ある。
— ひみこ (@himikoraimi) November 16, 2020
それからしたら、今日の書写は回復感じる…。悪化と回復の高低差が毎度すごいな…。 pic.twitter.com/DUMc5cWAvB
読めません。書いた本人も。(笑)
書道をしているので、これはかなり凹みました。元通りとはいわなくても、少しはまともな字に戻れるのだろうか・・と。
どんな話なのか凄い気になる。(笑)
— ひみこ (@himikoraimi) November 24, 2020
今日はまっすぐ書きたい線がビリビリになるけど、まぁリハビリですから!(ということで、お茶を濁す。)
#朝活書写#CIDP#リハビリ pic.twitter.com/YJq6JAd5hC
これが前の写真の1ヶ月後くらいの字。痺れのせいで指先の力加減がうまくいかず、線がビリビリしていますが、読める字はかけるようになりました。
あと、入院中は背中は痛い日が多く、腕を回したり、軽いストレッチをしたりして、ごまかしながらやり過ごしました。
体調と同じくらいしんどかったのは入院生活のストレス
CIDPの症状もしんどかったですが、同じくらいしんどかったのは入院生活の環境。
国立病院なのでなかなか2ヶ月半も入院するケースは珍しいそうですが。確かに私の周りの患者さんはどんどん退院・転院で変わって行くんですよね。
ころころ周囲の人が変わる中で、過干渉な人、マナーが守れない人・・・などなど、なかなか同室になるとしんどい人が次々と同室になり、やっと退院していったと思ったら、次来た人もなんかすごい・・・!
ということを、後半の1ヶ月ほど繰り返していました。
こちらは色々嫌だなーという想いをするだけに、自分は周りに嫌な思いをさせてはいけないと思って、色々気を遣っていたら、本当に精神的な消耗が激しかったです。
ストレスが積もり積もって、ちょっとした出来事で我慢の限界が来て、主治医の前で大号泣したら、部屋を変えてくれたり、看護師さんが気を遣ってくれたりして、退院前2週間ほどはストレスがかなりへりました。

どうしても他人と過ごすことになる入院生活は、長くなればなるほどストレスは溜まるものです・・・。できるだけ早い段階でうまくストレスを解消できるといいですね・・・。
2ヶ月半の入院からの退院時の状況

2ヶ月半の入院を終え、退院。
9月中旬に病院に入った時には、まだ「夏の終わり」といった雰囲気だったけど、退院する時に外来のロビーを通ったら大きなクリスマスツリーが出て季節は秋を通り越して冬になっていました。

浦島太郎な気分でしした・・・。
退院時の状況は以下の通りです。
- T字杖で歩行可能
- 手の痺れはあるもののかなり軽減した
- 背中痛い
- 首痛い
- しゃがめない
- プレドニンは30mg/day
- ステロイドの副作用も重篤なものは特になし
- 入院時から体重は10キロ減った(これは病院食のおかげ)
体重はものすごく減りましたが、これは体調が悪いわけではなくむしろ健康的に痩せた感じでした。
ステロイドで血糖値は上がりやすくなるので、血糖管理をしていたことも良かったのだと思います。
退院後の生活

そんなこんなで2020年の12月から再び家の生活が始まりました。
退院後も、幼稚への子供の送迎などは、夫や義父母が請け負ってくれていたので、私は本当に自分の世話だけやればいい生活をしばらくさせてもらいました。
2ヶ月超の入院中、夫と子供は義実家と家を行き来して過ごしていたので、家の中の掃除は間に合っていないところもあり・・・使用頻度が低いチェストなどにはふんわりほこりが積もっていました。(笑)
そして、時期的に年末も迫ってくるころだったので、家にひとりでいる時間はコツコツ大掃除をしていました。
ステロイドのおかげで、発症以来一番体が軽く動きやすいので、ついつい張り切って掃除をしてしまうのですが、体力が落ちているので結構疲れやすかったです。
子供の冬休みは始まったら、子供の世話や相手をしながら、3食作り、掃除、洗濯など、動きや体力に制約がありながらも、「通常の生活に近い」をおくることができました。
子供の幼稚園の運動会は入院中で見にいけませんでしたが、退院後12月の娘の誕生日、クリスマス、お正月、息子の卒園式・入学式には参加することができました。
ステロイドは副作用は怖いけど、私にはめちゃくちゃよく効き、今も家で生活できています。
この1年2ヶ月振り返って

そんなわけで発症からCIDP診断、それ以降の経過をまとめました。
2ヶ月半の長い入院から自宅に戻ってきてからは、もう8ヶ月が経過しました。
体調が一番悪かった4回目の入院では、本当に今後の生活はどうなるのかと不安になりましたが、いろんな人に助けられて治療してもらい、治療に専念できるようにサポートしてもらえ、本当に感謝しています。

いろいろ制限はあっても、ステロイドのおかげで家族と家で過ごせるという「普通のこと」は素晴らしいことなんだなーと改めて思います。
いわゆる「難病患者」というカテゴリに属することになってしまいましたが、実際に分類されても身体的にはいろいろアレですけど(苦笑)、中身はなんら変わりないんですよね。健康な時のまま。
病気と自分の関係については「自分の免疫が自分の神経を攻撃してしまう体質になってしまった」という感じで捉えています。(もちろん、こんな体質受け入れ難いし、返上できるならしたいですが。)
CIDPの診断当初は「これから先『どうしてこんなことに・・・』」と悲嘆にくれる日が来るのかな、とも思いましたが、実際のところはそんなに落ち込むこともなくここまで来ています。
これは私のメンタルが強いとかそういうわけではなく、いろいろ「偶然、運が良かった」のだろうと思っています。
- 激しく悪化しても、自宅で生活できる程度には回復した
- 命の危機に発展することがなかった
- 一時的に仕事ができないような身体的状態になっても夫の収入があった
- 育児中だけど、療養中・入院中に子供を見てもらえる環境にあった
上記のような条件や環境が私の身の回りにあり、不安に飲み込まれることなくやってこれたのだと思います。

運が良かったというしかないです。
症状が激しく出ている時は、本当に「辛い」の一言です。
でも、副作用の不安はあるにしても、自分にあった症状をコントロールできる方法が見つかって、リハビリをすれば歩行機能が取り戻せたことも、この1年半ほどの経験の中では「良い要素」だったと思います。
CIDPと私の今後の話

この1年半ほどを振り返ってきましたが、ここからは今後の話。
課題はいろいろあります。
ステロイドを減らしていった、その先
CIDPの炎症を抑えるのと肝臓の兼ね合いから昨年9月の入院からプレドニン(経口ステロイド)の服用を始めて、徐々に服用する量を減らしている途中です。
主治医には当初「20mgを切るあたりから再燃する可能性が上がるかな・・・」とは言われていましたが、今日現在(2021年8月)8mgまで減っています。
減らしていく中で、足の痺れの範囲が広がったり、治っていた背中の痛みが復活したり、不穏な感じもあります。でも、生活に支障が出るほどの再燃をしていないので、今現在も毎月1mgずつ減らしている最中です。
今後も、ステロイドをゼロにすることを目標にじわじわ減らしてく予定ですが、減らす過程のどこかでまた以前のように激し目に症状が再燃する時がくるのではないか、と恐れています。
仕事や経済面

CIDPは難病で医療費の補助がいただけるので「激増する医療費」という心配は今の所ありません。
また、発病した当時は専業主婦だったので、家の収入源が激減して家族は困るということもありませんでした。
しかし、子供が二人とも小学生になったころから時間もできるので、仕事にでるか、家で細々やっていた書道教室に注力して規模拡大を計画していたので、その予定が狂ってしまいました。(書道に関しては手の痺れもネックになります。)
今のところは夫は仕事をして収入を得ていますが、これから先、夫の収入が減ったり、病気になって仕事が一時的にもできない時があるかもしれません。そういった時にも対応できるように、私自身もある程度の収入を得る手段を確保したいと思っています。
しかし、CIDPがまたいつ再発し、入院するかもしれない状態の40代女性を雇おうという先はあまり無さそうに思います。(これは実際求職活動してみないと分かりませんが・・・。)
また、書道教室をするにも、昇段を目指す生徒さんは継続的な稽古が必要。私の体調次第で稽古が急に無くなったりするのは避けたい・・・
・・・と思うと、できることが限られてきます。
これに関しては、今後の治療の進捗(ステロイドを減らしてまた免疫グロブリンも併用するのか?とか)と体調変化を見ながら、あまり焦らず道を模索していこうと思っています。(といっても、早めに道筋はつけたいと思っています。)
楽しく生きる!!

最後はこれ。
命の危機とまではいかなくても、CIDPになって歩けない、物が持てない、全身が怠く痛い、など不便で辛い時間を経験すると、嫌でも「病気になった意味」「生きている意味」を考えてしまうし、その答えを見つけようとしてきました。
色々考えてみましたが、結局行き着いたのは「楽しく生きよう」ということでした。
シンプル過ぎる答えですが・・・。(笑)
結局のところ、今のところ、完治するための治療法のないCIDPは、治療法が見つかるまでは長く付き合っていく必要があります。
この先治療でうまくコントロールできずまた激しく再発してしまうことがあるかもしれません。
一度は失って取り戻した、歩行や、字を書く、といったような生活に必要な機能をまた失うかもしれません。
だからこそ、今できることは先延ばしにせず「今やる」「今楽しむ」が大切なのかな、と思います。
でもこれ、実は病気の人だけでなく、今元気な人にも実は重要なことなのかな、とも思います。今元気でも、明日どうなるかはわからないですからね。

もちろん、中長期的な視点に立って人生を見る必要もありますが・・・
まとめ
今回の記事はCIDPの診断から1年超経過した、体調や心境、生活についてまとめました。
入退院はしたものの自分に会う治療がわ分かり、一度は失った歩行機能を取り戻すこともでき、いろいろ不調はありますが、月1の通院をしながら家で生活できる状態になりました。
できることなら、家事をしながら自宅で生活できるレベルかそれ以上の体調を今後も維持したいと願っています。
治療法が見つかるまで・・・今後も長いお付き合いになりそうですが、CIDPに関してはあまりポジティブにもネガティブにも感情を大きく揺らさず、淡々と受け流していけたらいいな、と思います。
そして、病気ではなく自分自身の生活や人生の「今」の意識を向けて、その時・その瞬間を楽しく生きていけるようにしたいな、と思っています。
最近、CIDPになってしまってこの先どうなるんだろうと不安を感じているかたもいるのではないかと思います。
そんな方に、こんな患者もいて、こんな経過を辿っているとい一例として参考になれば嬉しいです。